【40代の挑戦】スーパーの蕎麦で満足していた男が、本気(マジ)の「蕎麦打ち」で職人の壁に大激突!「全集中・蕎麦切りの舞」の果てに見栄を張った夜

40代男の日常

1. 導入:40代、スーパーの蕎麦を愛した男が「本物の喉越し」に覚醒した日

どうも!先日は仕事終わりに片道1時間かけて「ホタル」を見に行き、大自然のマイナスイオンに癒されてきた40代男の「僕」です。

皆さんに質問です。「うどんか? 蕎麦か?」と聞かれたら、どちら派ですか?

僕は昔から、聞かれれば「強いて言えば蕎麦かなぁ」と答えるくらいの、ライトな蕎麦好きでした。 好きと言っても、普段食べるのはスーパーのチルドコーナーで売っている、1袋数十円の安いやつ。それを茹でて、市販のめんつゆにつけて「うん、美味い」と満足しているレベルの男だったのです。

そんな僕の「蕎麦観」がガラリとひっくり返ったのは、約2年前のこと。 たまたま訪れた本場の手打ち蕎麦屋さんで、何気なく「ざるそば」をすすった瞬間、脳天に衝撃が走りました。

「……ッ!? なんだこの喉越しは……! ツユの香りが鼻を突き抜けるぞ!?」

今まで僕が食べていた蕎麦とは、完全に別次元の食べ物。その時、僕は初めて「あぁ、僕は蕎麦の圧倒的な喉越しと、あの洗練されたツユの香りが心から好きなんだ」と、自分の本能を認識したのです。

とはいえ、その時は「やっぱりプロの味は違うなぁ」と感動しただけで終わっていました。自分がまさか、その「打つ側」の世界に足を踏み入れることになるなんて、夢にも思っていませんでした。

2. 奇妙なキッカケ:仕事先のお客さんからの「悪魔の誘い」と小さなコミュニティハウス

人生、どこで何が起こるか分かりません。 キッカケは、仕事先で仲良くさせてもらっている、とある「常連のお客さん」からの、1パックの差し入れでした。

「これ、最近私が趣味で始めた打ち立ての蕎麦なんだけどさ、良かったら食べてみてよ!」

プラスチックのパックに入った、不揃いだけど瑞々しい生蕎麦。家に持って帰って早速茹でて食べてみると、これが驚くほど美味い。 翌日、仕事先でそのお客さんに「めちゃくちゃ美味しかったです!」と大興奮で伝えると、お客さんは嬉しそうにニヤリと笑い、僕の目をじっと見つめてこう言ったのです。

「そこまで言うならさ……今度、一緒に蕎麦、打ってみない?」

断る理由なんてありません。僕のモットーは「40代で出来ることは全部やる! 老後何が自分の人生を変えるか分からないから、興味を持ったことは全部試してみる」です。

こうして僕は、週末、とある街の小さなコミュニティハウスへと足を運ぶことになりました。 中に入ると、長机がズラリと並べられ、計6ヶ所に「蕎麦打ちスペース」がプロの手によって用意されていました。

「まぁ、YouTubeでも動画はいっぱいあるし、見よう見真似でなんとかなるっしょ!」

そんな甘い考えを抱いていた当時の自分を、今の僕は全力で殴り飛ばしたい。 職人の世界を、完全になめていました。

小さなコミュニティハウスに用意された、戦いの舞台。ここまではまだ余裕をぶっこいていました(笑)。

3. 前半戦:無限♾️の高速回転!「水回し」という名の時間との超絶デスゲーム

「じゃあ、始めるよ!」という先生の掛け声とともに、僕の初めての蕎麦打ちがスタートしました。

用意されたのは、蕎麦粉に繋ぎの強力粉があらかじめブレンドされた、黄金比の粉500g。 ここへ水を少しずつ入れながら混ぜ合わせていく、いわゆる「水回し(みずまわし)」という最初の工程です。

「ハイ、手を丸くして! 休まず無限に回して! 時間との勝負だからね!」

先生の激しい檄が飛びます。 そう、蕎麦打ちは信じられないほどの「時間との勝負」なのです。粉が空気に触れて乾燥していく前に、均一に水分を行き渡らせなきゃいけない。

僕は言われるがまま、まるで漫画のキャラクターのように、無限に手を高速回転させて鉢の中の粉を混ぜ合わせていきました。

必死の「水回し」!どのくらい混ざればいいのか分からず、ただただ無限に手を回し続けた鉢の中。

しかし、料理ド素人の僕には、どの程度の混ざり具合になればいいのか、固まり具合がこれで合っているのか、1ミリも判断がつきません。

「あー、もぉ水分飛んじゃうから次行くよ! 次! 次!」

せき立てられるように、慌ただしく次の工程へ。 ドタバタのまま、なんとかコネ上がったひとつの塊(そば玉)が出来上がりました。もちろん、僕がモタモタしている間に、見かねた先生が「あぁもう、貸して!」と、プロの神がかった手つきで9割がた仕上げてくれた塊です(笑)。

この時点で、僕の腕の筋肉はすでにパンパン。効率よく逆三角形の身体を作るためにジムで鍛えている僕ですが、蕎麦打ちの筋肉は全くの別物でした。

4. 後半戦:全集中、蕎麦切りの舞! 先生のお手本の「3倍の太さ」の衝撃

続いての工程は、コネ上がった塊を丸く、そして徐々に四角く「うっすく伸ばしていく」作業です。

「よし、この麺棒で均等に伸ばしていくぞ!」と意気込んで棒を握ったのですが、これがまぁ、ぜんっぜん上手くいかない! ただ単に、クッキーの生地を伸ばすように上から力を入れてゴロゴロ転がせばいいって話じゃないんです。

ちゃんと完成形の形を頭の中で計算しながら、麺棒のミリ単位の動きと、指先の繊細な力加減を絶妙に調整していかないと、生地がどんどん歪(いびつ)な形になっていき、破れたり厚さがバラバラになったりします。

「あー、ここ薄すぎる! ここ厚い! ほら、形が歪んでるよ!」

先生からの容赦ないツッコミが入るたびに、僕の豆腐メンタルは崩壊寸前。 結局、これも「ちょっと交代!」と先生にバトンタッチし、プロの見事な修正が加えられて、綺麗な正方形の薄い生地が完成しました。もはや、僕がやったのは麺棒を握ってポーズを取ったくらいです。

そして、いよいよ最終局面。蕎麦打ちの醍醐味である「切る」工程です! 大きな蕎麦包丁を握り、駒板(こまいた)と呼ばれる木の板を添えて、ゆっくり、確実に、細く切っていく。

ここでの僕の集中力は、間違いなく今年一番でした。

(全集中……蕎麦切りの舞……! 細く、細く、均等に……!)

脳内で勝手に全集中の呼吸を発動させ、1ミリの狂いもなく細く切っている「つもり」でした。 しかし、切り終えた蕎麦を、先生が切った美しいお手本と並べてみた瞬間、僕は我が目を疑いました。

「……太っ。先生の3倍くらい太いんだけど……」

そこに並んでいたのは、洗練された江戸前蕎麦ではなく、山奥の猟師小屋で出てくるような、ゴツゴツとした無骨な「極太田舎うどん(風の蕎麦)」でした。切っている時は完璧だと思っていても、包丁を傾ける角度やスライドさせる感覚が、素人には全くコントロールできていなかったのです。

悲しくなるくらい何もできず、最初から最後まで、ほぼすべての工程を先生に手直ししてもらった僕。 肩を落とす僕に、先生は優しく笑ってこう言ってくれました。

「まぁ、これは経験やからね! 何遍も何遍もやらんと、最初から出来るわけないひんよ! 続けていくことが一番大事なんやから」

その言葉が、身に染みました。 ランニングだって、10kmを40分切るためには一年を通じてコツコツ練習を続けるしかない。家庭菜園だって、何度も失敗を重ねて「最高の土作り」にたどり着く。 蕎麦打ちも全く同じ。職人の技とは、何遍も何遍も泥臭く続けた人間だけが辿り着ける聖域なんだと、改めて深く再認識させられたのです。

5. 結び:夕食の食卓にて。40代メンズが張った、ちっぽけな「ミエ」

その日の夜、我が家の夕食の食卓には、僕が(というか先生が9割)打った蕎麦が、冷たい「ざるそば」として並んでいました。

家族に「今日、僕が打ってきた蕎麦やで。食べてみて」と差し出すと、さっそくズズッとすすった家族から、嬉しい声が上がります。

「お、美味しい! この綺麗に均等に切れてる部分は、やっぱり見た目も喉越しもすごく良くて、本当に美味しいよ!」

大絶賛です。 ……そう、家族が箸でつまんで褒めてくれたのは、僕が切った「お手本の3倍太い部分」ではなく、先生がサンプルのために美しく切ってくれた、完璧な「お手本」の部分でした。

ここで「あ、そこ先生が切ったとこやねん……」と正直に言えばいいものの、40代の僕は、ここでちっぽけな男のプライド(見栄)を発行してしまったのです。

「まぁね〜! これくらいは、ちょっと集中すれば出来るからね。フッ……」

最高のドヤ顔でミエを張ってしまいました(笑)。先生、ごめんなさい。でも、あの空間で粉まみれになって必死に格闘したご褒美として、これくらいの嘘は神様も許してくれるはずです(多分)。

今回、40代の新しい挑戦として飛び込んだ「蕎麦打ちの世界」。 全然できなかったからこそ、悔しいし、めちゃくちゃ面白い! 老後、この趣味が自分の人生をどう変えるかは分からないけれど、あの蕎麦の素晴らしい喉越しを自分の手で100%再現できるようになるまで、僕はこれからも何度も何度も、蕎麦粉と格闘し続けてみようと思います。

次こそは、先生の手直しナシで、家族全員を唸らせる一本を打ってみせるぜ!

今日も最高の1日を、新しい挑戦のピッチへ走り出しましょう!

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